伊藤慎一のつぶやき

仙台市にあるセントラル第一歯科クリニック院長のブログです

レコード演奏家論

既に鬼籍に入っているが高名なオーディオ評論家に菅野沖彦という御仁がおられた。

 

子どもの頃からピアノを習っていたが長じて録音現場で働くようになり、その後自身のレーベルを立ち上げ名録音と呼ばれるいくばくかのレコードを世に出している。

 

オーディオラボと言うそのレーベルは今でもオークション市場で人気があるようだがあいにく小生は一枚も持っていない。理由は彼には大いに疑問を持っていたから(^^)。

 

昔から高額オーディオの世界で名をはせた幾人ものオーディオ評論家がいたが、ほとんどは鬼籍に入り菅野沖彦氏だけがオーディオの世界では断然トップの状態を長く謳歌していた。

 

オーディオ界では彼の言葉は神の言葉であり、読者は彼の美辞麗句に溢れた文章からまだ見ぬ高級オーディオに思いをはせ憧れを膨らませて販売店に行ったことだと思う。

 

彼の造語にレコード演奏家というのがあり、見事な長文の論文もあり読ませて頂いたものだ。文章は格調高く時として自己矛盾をはらみながらも持論を展開させていく様はまさにオーディオ界の巨人。

 

曰くレコード愛好家はすべからくレコード演奏家であり己の感性に従いレコードを演奏するのだとあった。

 

一見して違和感を持ったのは芸術作品であるレコードよりそれを鳴らすオーディオマニアの方が上だというように読み取れたからで、これは増長した物言いでとんでもない勘違いであろう。

 

小林秀雄流に言えば装置が大事なのではなくそれを聴く人の感性と想像力が音楽を偉大な芸術にとどめているのだとなる。

 

温泉場で聴いたラジオの音からショパンのマズルカを思いそのあとは音は聞こえなくともずっといい思いをした、と言う経験から小林秀雄は耳には耳の知恵があると言って人間中心主義を貫いたが菅野氏のはこれとはちと異なり俺様至上主義。

 

芸術品であるレコードの上に機械を操る人間を置くのはいかにも無様であろう。

 

オーディオ店の責務は芸術が芸術として感知されうる質を伴った製品を音楽好きの人たちにためらわず売る事であり在庫一斉セールも良いがよい製品を常に供給する意識を持てばお店は繁栄するだろう。

 

菅野氏は外国の特定のメーカーの大株主であることを暴露されその製品を推薦してきたことをネットで大いにたたかれて失意のうちに亡くなったという噂だ。

 

人間後ろ指をさされるようなことをしてはいけないという格好の見本になりました。