音楽を楽しむ方は世界中にたくさんおられますが、自分で演奏して楽しむことができる人はごくわずかで大概はコンサートで他人の演奏を聴くかソフトを買ってきて自宅で聴くかになります。
もちろん最高なのは自分で歌ったり演奏できることですがこれには時として長い訓練が必要になります。
実際に演奏が出来れば他人の演奏がより深く理解できるし、音楽史を勉強すれば作曲家の心情をある程度は理解することも可能です。
少し前にカンツォーネを習っていた時は、本職の歌手の息継ぎや声量に一々感心していたものです。下手だと思っていた歌手が実はすごかったなどは自分で経験してみないとわからないとその時深く理解しました(^^)。
オーディオ機器を駆使して部屋で音楽を聴くときも同じです。
でも本職の指揮者はレコードからピッチの間違いや音程のずれなどを感じ取るようでこれは教わらないとわからないですね。我が家で仙フィルの常任指揮者だったパスカル・ヴェロさんに以前大いに学びました。
世の中には音楽再生を原音再生という幻に過ぎない概念を金科玉条にしてやっている方たちも昔からたくさんおられます。
最新の機器を駆使してとにかく音の分解能や音場感をこれでもかと追及しておられますがこれはきりがありません。いつまでもメーカーに引きずり回されるばかりで終わりがないのですが、諦めませんね(苦笑)。
小林秀雄がその昔、オーディオマニアとして巷ではつとに名をはせていた五味康佑に言った言葉は「生と変わらない音を作り出すのはいつでも可能だ。でもその時あなたが聴いているのは周波数を気にしている雑音探しであって音楽ではない。そういう聴き方は長い歴史を持つ音楽というものに対する大変な冒とくなのだと!」厳しく叱ったのです。
この会話を新潮社から出ていたカセットテープで若い時に初めて聴いてハタと膝を打ちました。
だから音楽を聴くという行為は周波数特性を聴くのではなく、耳から先の脳で感じ取り再構成する作業なのだ、という人間中心主義を唱えた日本最高の文系頭脳小林秀雄には、今も深く心酔しているのです。
原音再生派には今も理解はしていただけないでしょうが(笑)。