東北大学の第二保存学教室が博士号をいただいた教室ですが、恩師の奥田教授が退官した後は後任の教授が変わった男で同門会も解散させられ同門の歯科医師は皆ちりじりになってしまいました。
誰だこんなのを選んだのは(怒)!と言っても後の祭りです。選んだ連中はとうに定年で退職しています。
医学部はさらにひどく内科や外科と言ったものが細分化されたくさんの教室と教授が出来ました。
昔の大口座時代には教授の権威は凄いものがあり、昨年亡くなったY医師は他の大学を出て自分の親父が君臨する医局に入った時は教室員が揃って整列し「お待ちしておりましたお坊ちゃま!」と言ったそうですから笑いが止まりません。
気に入らない医局員は親父の権威を借りて遠くに飛ばしてしまったそうですから今ではパワハラで訴えられそうです(笑)。
高校の先輩で生理学教室の有名な教授を父親に持つMは東大の理学部の生物学科へ行くと言ったとき、母親がさめざめと泣いたという本人からの証言です。
医学部なら臨床系の教授になれば毎月着物が買えるし(贈り物で)、基礎系でも年に一度は買えるのに・・・ということです。
まあでもその後東京工業大学の教授となり歌う生物学者としてマスコミにもずいぶん顔を売った氏ですから、泉下の母もきっと許してくれると思います。
昔の帝国大学医学部は白い巨塔そのものでした。でも今はすっかり業者からのもらい物が禁止になり教授と言っても何の役得も無く、辞めた後の行き先を探すのにみなさん必死なようです。残念!