子どもの頃父が話していたのは父が子どもの頃に近所にいた青年の話でその方は良い家に生まれたが生涯働かずに家で読書に耽っていたそうです。
頭のいい人でなんでも知っていたが世の中に貢献することはなく一生を終えたとか。
父曰くこれは死に学問というのだとのことで、その時そういう言葉があるのを初めて知りました。
私も子どもの頃から知識欲が高く、田舎の一軒家に住んでいて話し相手もいなかったので4歳のころ父に買ってもらったコドモの辞典というのを読んでひらがなも漢字もアルファベットもすでに理解していて片っ端から本を読んでいたものです。
長じて学校に上がると図書館の本を片っ端から読みまくり、あらかた読んでしまうと家にあった主婦の友まで読んでいた覚えがあります(笑)。
でもほとんどは記憶の彼方に追いやられそれこそ死に学問と化しています。
先日50代で亡くなった後輩の歯科医は父が医師だったせいか何とか学問をして追いつこうとしたのか、あちこちの大学に通って歯学博士号や医学博士号まで最近取得していたとホームページにありました。
博士号とは昔から揶揄されるのは足の裏の米粒。
取らないと気になるが。取っても食えない(笑)。
彼にとっては亡くなる間際の博士号が死に学問とならなかったことを祈るだけです。