伊藤慎一のつぶやき

仙台市にあるセントラル第一歯科クリニック院長のブログです

出雲大社考

年末に友人たちと出雲大社にお参りに行ってきました。

 

二泊して最初の日は神社の近くにある博物館に行き陳列してある古代の土器や銅剣、銅鐸などをじっくり見てきました。

 

銅剣は山の斜面からきれいに並べた状態で発掘されたようです。どうしてそんなふうに遺棄されたのでしょう。

普通に考えれば神へのお供えですがよくわかりません。

 

出雲大社の社殿は南を向いていますがご神体は西の海を向いています。

神は西の海から来たようです。

 

発掘された埴輪の中には山高帽子をかぶり長いひげを蓄えた明らかにユダヤ人と思しき像がありますが、古墳時代に中東から太陽の上る方向に延々旅をして海を渡り彼らが日本に文化と馬を持ち込んだのでしょうか。

 

太陽信仰は古代人特有の思想ですが神社のご神体が南を向かずに西を向いていたり、いなばの白兎伝説では日本にはいないワニの背中を歩いたと伝えれることから中東から持ち込まれた話ではとの疑念が起こります。

 

これは私が勝手に思っていることではなく東北大学名誉教授の田中先生がおっしゃっていることでもあります。

 

銅剣が整然と並べられていたのも銅鐸がある時期からぷつっと作られなくなったのも新しい征服者に恭順の意を示したのだと解釈することもできるでしょう。

 

昔日本思想史にいた大学の友人が「銅鐸の謎」と言う面白い本があるよと教えてくれた河童ブックスから出ていた本を読むと銅鐸表面の絵の謎解きがしてありました。

 

鹿を射る人は蘇我入鹿と読み解き、高倉式住居は天皇に即位する高御座をさすと言います。

朝鮮半島からの帰化民族であった曽我氏が娘を次々と天皇家に嫁に出し、絶大な権力を得ていたことは良く知られています。

 

しかし正史には曽我氏が天皇になったという記述はありません。

中大兄皇子らが曽我氏を大化の改新で滅ぼしてしまったからです。

 

そのあと銅鐸が全部山の斜面に埋められたのは征服者の存在を消したかった日本民族の思いがあったのでしょうか。

 

謎は深まるばかりです。