オーディオ遊びはお金と時間がある人にはかないませんが、一方でお金が捨てるほどあって世界中のオーディオ機器を自由に買えるからその人がいい音楽を聴いているということにはなりません。
大事なのは音楽脳があるかないか。
音楽脳はその人の持って生まれた感性と、人生で培った教養からなります。
もっともオーディオ遊びは究極は自分だけの気に入った音ですから、そこに他人が介在する隙間はありません。
でもいい音が出ると他人にも聞いてもらって共感を求めたくなるものです。
で、それが高じると初心者を自分の手下に組み入れて絶対の王国を作りたくなる不逞の輩も出てくる(笑)ことになります。
これをオーディオ教と言います。
昔はオーディオ評論家が絶対の権威を持っていて、スピーカーからプレーヤーまで自作を決め込む長岡鉄男さんの一派長岡教が一世を風靡しました。
いまだにその残党が日本中に居座り、へんてこな形のスピーカーを喜々として作っては喜んでいるようで何とも微笑ましいことではあります(笑)。
小生の知り合いにも素人を集めて自分の使わなくなったオーディオ機器の下取り場にして楽しんでいる剛の者もいます。おさがり友の会と勝手に呼んでいます。
無駄がなくていいのですが、その結果いい音が必ずしも出ないというのが難点でしょうか。
私はオーディオは機械よりソフトが一万倍も大事だと常に言っていますが最近徐々に理解されつつあるのは嬉しいことです。