午後の診療を何事もなくこなしていると突然の揺れに全員立ち上がりました。
物凄い揺れが永遠ともいえる時間に感じたほどの今まで体験したことのない大地震でした。
治療中の患者さんをユニットから下ろし、しばらくは様子を見るために待合室の椅子で座っていただき、
順にお帰りいただきました。
外に出ると向かいの建物のレンガが割れてたくさん落下し、
駅前の駐車場の建屋が斜めに三十度ほど傾いています。
信号はすべてストップし電気も消えました。
その時九州の師匠から生きていますか?の電話です。
向こうではテレビで仙台空港に押し寄せる巨大な濁流が流されていたそうですが、
こちらではテレビが見られません。
形態電話のワンセグ画像で確認取れました。でもすぐに電源が切れました。
その時雄勝町の海沿いの病院では入院患者40人と病院職員のほとんどが流されて亡くなっていました。
高校の同級生が副院長で患者を屋上に避難させているうちに亡くなったそうです。
その後自衛隊は小雪が吹き仕切る寒い中を自分たちは冷たい缶詰を食べ、
凍てついた地面に寝転がりながらわずかな休息を取りあっという間に道路が使えるよう
瓦礫を除去してくれました。
韓国では天罰だざまあみろと言う心無い報道が広がり、中国は軍の病院船をおくりたいと
政府に申し込んで断られたと言う話ですがこれは明らかにスパイ目的でした。
米軍はすぐにトモダチ作戦で多くの被爆者を出しながら復興に尽力してくれました。
困った時の友が本当の友。
今本当に実感します。