宮城まり子さんが亡くなった。もう93歳にもなっていた。
子どもの頃に聞いた「ガード下の靴磨き」という歌がいつまでも心に残って忘れない。
宮川哲夫の書いたこの詩がたまたま訪ねたレコード会社のごみ箱に捨てられているのを拾い上げ、
ぜひともこの歌を歌わせてくれと懇願して利根一郎が作曲したと言うエピソードがある。
宮川哲夫は魂で詩を書いていたからまりこさんの魂に直接響いたに違いない。
下手をするとこの昭和歌謡最高の名曲が闇に葬られた可能性が高かったことを思うと、
出会いというのはほんの一瞬やってくるのだなとの思いをしみじみ感じる。
夜の寒さやひもじさは慣れているから泣かないが
ああ夢のないのが辛いのさ~
と歌った歌は昭和30年に発売されると全国の津々浦々にラジオとレコードで
まるで燎原の火のように広まった。
まだ二歳だった小生がいつ聞いて覚えたのかはわからないが
きっとそのあともずっとラジオで流れていたのだろう。
肢体不自由児の学校を私費で建設し、亡くなるまで子供の教育にささげた
戦後日本で最も偉い人だった。
いずれ必ずや子供の教科書に大きく載ることを疑わない。合掌。
歌が大ヒットした後は肢体不自由児のお世話に私財をなげうって尽くされた。
作家の吉行淳之介は死ぬまで彼女を尊敬し愛したと言う。