高等小学校主席卒業の肩書で44歳で大蔵大臣になった田中角栄。
本当は工学院という大学卒なのだが周りが小学校しか出ていないと言うのでそのままにしておいた。
戦争では一兵卒で辛酸をなめ戦後は演説一本で名を売り出て来た男だ。
池田隼人らと一緒にとにかく頭の中は敗戦後の日本を豊かにすることしかなかった。
角栄のところには大勢金の無心に来たが、
社会党の代議士がおずおずと百万円貸していただけないかと来た時に秘書に三百万円用意させ、
百万は君の借金返済に、百万は周りの支えてくれている人たちに、残りは将来また
こういうことがあった時に使いなさいと言って証文も取らずにくれたと言う。
その代議士は対立政党であったにもかかわらずいっぺんに角栄の応援団になったそう。
情に厚い政治家でした。
日本全国を舗装するのに百年かかると言われたのを、利用するドライバーから取ればいいと、
ガソリン税を新設しあっという間に成し遂げたのは有名。
公平性を重視したのです。
今生きていればいろいろなアイデアを出しまくり官僚を従えて知恵を出していたに違いない。
立花隆がうらめしい。
この人懐っこい笑顔はお人柄を表していますね。
とにかくとてつもなく頭のいい人でした。
日中国交正常化を成し遂げアメリカに嫌われたのが失脚の原因。