安倍晋三元総理が統一教会への怨念にとらわれた青年の凶弾に倒れて改めて政治と宗教への関心が深まっています。
国の政治を動かすのに宗教は唾棄すべきと言う意見はなるほどもっともに聞こえます。
宗教とはもともとカルト的な奇跡が元になっているからです。
でもアメリカをはじめ先進国ではキリスト教が精神の根本にあり、アメリカでは大統領就任式で聖書に手を置き宣誓するのが慣習になっているし、ロシアのウクライナ侵略時もロシア正教会が後押ししていたのはよく知られています。
政治と宗教はど真ん中で分かちがたく結合しているのです。
日本でも公明党は創価学会の完全な支援の下運営されているのは誰でも知っていますがほぼ黙認されていて、池田大作氏の国会喚問もいつの間にか消えて日本では宗教と政治はもはや一体化していると言っても過言ではありません。
政治はとにかく金がかかるし多くの確定的な票が期待できる宗教組織とは切っても切れない関係が出来ていると言って間違いないでしょう。
安倍総理も清濁併せのみながらの政党運営だったと思います。
高校生の頃世界史の先生だったモグラと言うあだ名の先生は、地元の河北新報紙に「国民の疑惑を招く〇〇党」と言う投稿をしたら朝から晩まで嫌がらせを受け、おまけに最後は火事にまでなってすっかりまいってしまったと授業中に話していました。
宗教は怖いなと子供心に思ったものです。
仏教の始祖釈尊は、人間は必ず死ぬべき運命にある存在だから、あらゆる煩悩から解放されて生きることが良いのだと語っています。
あの世もないしあの世から帰ってきた人もいないので悪魔もいないしこの世に生きるのはただ正しいことをすることだと言っています。
高いツボを買って魂を清めろなどとはそもそも言っていませんね(笑)。
夜空にきらめく星を眺め、人間は大宇宙でいかにちっぽけな存在であるかを自覚するのが心穏やかに生きる方法ではないかと思います。